鹿島長次
人間の顔や身体の形は人間の個々に生まれつき与えられている性質で完全に同じ物はありません。眉毛と眼と鼻と口の位置や大きさが微妙に異なるために、個々にカワイイ顔や美人の顔や愛嬌のある顔や優しい顔や怖い顔など人相が変わります。太古の昔から顔や身体の形の類型と性質の類似性の間に何らかの関連性があるのではないかと考えられてきました。この考えが基礎になって、古くインドで発祥した手相は掌に刻まれた皺や各部の肉付きの具合などを観察し、ある典型的な形が認められれば、それがその人の性格などに関する情報を示していると解釈するものです。しかし身体の形の類型と性質の類似性の間に明確な科学的相関性が未だに見出されていないために、手相は人相と共にあまり合理性を具えるものと認められていませんが、しばしば何らかの助言を求めたいと考えている人々に示唆を与えたり、あるいは何らかの着想の元になったりしています。
物質はイオンや分子が集合して構成されていますが、約200年前にAlchemy(錬金術)からAlの接頭語が取れてChemistry(化学)に進化して以来、約50000000種類のイオンや分子の性質が現在まで調べられています。その200年の間には、物質を種々の化学的分析をすることにより、イオンや分子の大きさや形などの分子の顔をある程度調べることができるようになって来ました。紫外線や赤外線やマイクロ波などの各種の波長の電磁波を物質に照射して、吸収される波長とその吸収強度から原子の結合の仕方を調べたり、結晶化した物質にX線を照射してその反射の仕方で原子の並び方を調べたりしています。さらに、PCやコンピューターの演算速度や記憶容量の飛躍的向上により、近年になって原子の結合の仕方から仮定した分子の顔をかなり高い精度で予想することができるようになって来ました。
曲がった胡瓜の商品価値が低くなり、麺類の食べ方がその太さで変わるように、物質を構成する分子も形で性質が異なっているのではないでしょうか。人相や手相が個々に異なるように、それらの分子も大きさや形により個性があるのではないかと思われます。言い換えれば、分子の人相や容姿を調べればその分子が構成する物質の性質を推し測ることができ、分子の指紋を調べればその分子を認証することが出来るのではないでしょうか。最も小さなヘリウムや水素分子と比較すれば、蛋白質やポリエチレンなどの巨大分子は全く異なった性質を持っています。同じような大きさの分子でも丸っこい分子と長く伸びた分子では固体になる温度が違ってきます。分子も小さな顔、大きな顔、丸顔、平らな顔、長い顔、棒状の顔など種々の顔を持っており、それぞれその顔にふさわしい性質を示します。さらに、眼や鼻や口のように分子は種々の部分構造が組み合わされた顔をしていますから、それらの部分構造の持つそれぞれの性質の複合した性質を出現します。そのような分子の部分的な顔の違いによる微妙な性質の違いは、分子が集合した物質にはあまり顕著に現れませんが、風邪薬や抗生物質や覚醒剤などの例からも明らかなように、人間をはじめとする生物の体内では極めて顕著に現れてきます。多くの分子の人相とその性質の間の相関性が明らかになれば、その分子の顔を見ただけで薬の働きなどの物質の性質が推定できるようになるのではないかと期待されます。
本書では人相占いのように、日常生活を取り巻く種々の物質の人相を化学の知識を織り交ぜながら調べて、その物質の性質と物質を構成する分子の大きさや形などの顔付きの間にどのような関係があるか独善的に見てゆこうと思います。さらに、分子の顔付きを調べるように、生物にとって重要な遺伝や睡眠などに関与する種々の成分の働くからくりを分子の顔付きを通して化学的に考えてみたいと思っています。日常生活を取り巻く種々の分子は個々に大きさや形の特徴を人相や手相や指紋のように持っていますから、そのような分子の人相や手相や指紋が影響する物質の性質を考えることで、何か一つでも化学や薬学の研究や教育に役立つものが見つけ出せれば良いと思っております。また、逆に分子の大きさや形などの顔付きに関する化学的な技術や知識が日常生活を豊かにする新たな物質を生み出す助けになれば、本書はさらなる意義を持つことになると思われます。本書が分子の人相学を深める上で貢献できればよいと思っています。
私の独善的な発想を織り交ぜて考察した結果は
「分子の人相を化学する」
としてpdfの形式でまとめましたので、以下に目次をあげておきます。気楽に読んで頂ければ嬉しく思います。さらに、この
「分子の人相を化学する」
に対するご意見、ご質問、ご感想をchoji.kashima@nifty.ne.jpにてお待ちしております。
目次
- 1. まえがき
- · 太さで変わるうどんやパスタの食べ方
- · 人相は性質を示すのでしょうか?
- 2. 原子、イオン、分子の人相
- · 原子の人相は丸顔
- · イオンの人相も丸顔
- · 結合により安定化する原子
- · テトラポットのようなメタンの顔
- · 原子を平面上に固定する2重結合
- · 正6角形のタイルのようなベンゼン環
- 3. 安定な異性体の顔になる分子
- · 物質の持つエネルギーは2種類
- · 天秤のように鋭敏に傾く系の平衡
- · 百面相を持つ鎖状分子
- · 峠を越さねば先へは進まない
- 4. 分子の顔で決まる物質の固と液と気の状態
- · 物質の状態を左右する分子間力と運動エネルギー
- · 地球から逃げ去った小さな分子
- · 水は他に例を見ない変わり者
- · 高い融点を示す丸顔の分子
- · 0℃では凍らない海の水
- · 変な顔を持つ分子の研究
- 5. 液体と固体の性質を示す液晶
- · 液晶になり易い棒状と盤状の顔の分子
- · 共有結合はイオン結合性を兼ね備えている
- · 液晶中に整列した分子が映す画像
- 6. 長い長い顔の分子で作るプラスティック
- · チーグラーの粗雑な実験が大発明に
- · 長い顔の分子は分子量も不明確
- · 顔が長くなると変わる分子の並び方
- · 絹は蚕の身を護る大切な衣服
- · 分子の絡みをたすける横顔の凸凹
- 7. 右の実体と異なり右の鏡像と同じ左の実体
- · 右と左が取り巻く日常生活
- · 右の顔の分子と左の顔の分子
- · 右に磁場を持つ光と左に磁場を持つ光
- · 生物は素材も顔も能力も一方のエナンチオマー
- 8. 生体内反応をつかさどる分子の顔
- · 風邪薬の顔、抗生物質の顔、覚醒剤の顔
- · 顔が似ていれば顕れる麻薬の性質
- · 生体内反応の違いを巧みに利用したサルファー剤
- · 消化酵素の口の中で蛋白質からアミノ酸へ
- · DNAの情報を伝える頑固な顔の4種の記憶素子
- 9. 物質の性質を占う分子人相学